知財高判令和4年(行ケ)第10084号「重症心不全の治療方法およびその薬剤」事件(特許無効審決取消請求事件)について掲載します。
令和4年(行ケ)第10084号 審決取消請求事件(令和6年3月21日判決言渡)知的財産高等裁判所第1部(裁判長裁判官:本多知成)
[本判決のポイント]
・第2医薬用途発明の進歩性判断において、公知医薬との対象患者の違いは、この対象患者を他の患者と区別して投薬等がされている実情があるかどうかが重要な判断基準の1つとなる。さらに、この対象患者への効果(顕著な効果)を参酌するには、明細書中においてその対象患者を区別した試験系でのデータ等が明示されている必要がある。
1.概要
原告:大塚製薬㈱(特許権者)
被告:トーアエイヨー㈱ 他
内容:特許庁が無効2020-800029号事件について令和4年7月5日にした無効審決を取り消すことを求めた審決取消訴訟
2.本件特許(特許第4771937号)
発明の名称:「重症心不全の治療方法およびその薬剤」
<令和3年8月17日付訂正後の特許請求の範囲(下線は訂正箇所)>
【請求項1】
5-ヒドロキシ-7-クロロ-1-[2-メチル-4-(2-メチルベンゾイルアミノ) ベンゾイル]-2,3,4,5-テトラヒドロ-1H-ベンゾアゼピン(以下「トルバプタン」と称する)またはその医薬的に許容される塩を活性成分として含み、該活性成分の1日当たりの用量が0.371mg/kg以下の範囲であることを特徴とする、急性心不全または慢性心不全の急性増悪期にあるニューヨーク心臓協会の分類(以下「NYHA」と称する):重症度IVの患者に最適の治療と組み合わされて入院下で経口にて投与開始される重症心不全の治療薬。
【請求項2】
該活性成分の1日当たりの用量が0.1mg/kgから0.371mg/kg以下の範囲であり、予後を改善することを特徴とする、請求項1の治療薬。
【請求項3】
トルバプタンまたはその医薬的に許容される塩を活性成分として含み、該活性成分の用量が1日当たり15~30mg/個体の範囲であることを特徴とする、NYHA:重症度IVの患者に最適の治療と組み合わされて経口にて投与される重症心不全の治療薬。
【請求項11】
NYHA:重症度IVの重症心不全において浮腫を改善することを特徴とする請求項1~3のいずれかの治療剤。
※請求項4~10、12~14(重症心不全の治療用医薬組成物のクレーム及びスイスタイプクレーム)は省略
3.経緯概略
- 本件被告により本件特許の無効審判請求(無効2020-800029号事件)
- 無効審決(訂正請求は認めつつ、甲2(66 Supp.1 Circulation Journal 277 (2002))を主引例として全クレームについて進歩性なしと判断)
- 本件原告により上記無効審決の取消しを求める審決取消訴訟提起
4.判決の内容(争点である進歩性の認定についての判断概略、下線は筆者が付記)
甲2には、トルバプタンを活性成分として含み、該活性成分を1日1回、30mg、45mg若しくは60mgの用量で投与する、心不全(NYHAクラスI~III)及びうっ血の兆候(浮腫又はラ音等)を有する患者に、水分制限なしの標準治療及び安定したフロセミド用量(20~240mg/日)と組み合わされて投与される心不全(NYHAクラスI~III)の治療薬が記載されていると認められる。
本件特許発明は、NYHAクラスIVの患者に入院下で経口にて投与開始される重症心不全の治療薬と特定されている点(相違点1)、及び活性成分の1日当たりの用量が0.371mg/kg以下の範囲と特定されている点(相違点2)で甲2発明と相違する。
しかしながら、相違点1について、本件優先日当時、利尿薬は急性心不全、慢性心不全、心不全の重症度を問わず広く用いられていた薬剤であり、トルバプタンと同じ作用機序の利尿薬がNYHAクラスIVの患者に投与されていたことからも、重症でないとは即断できない患者を含むNYHAクラスI~IIIの患者に有効である甲2発明のトルバプタンをNYHAクラスIVの患者の治療薬とすることには十分な動機付けがあり、その阻害要因があったともいえず、容易に想到し得たということができる。また、治療薬を投与する際に患者が入院下であるか否かという点は実質的な相違点とはいい難い。さらに、本件優先日当時のトルバプタンの使用態様から、これを経口投与とすることは当業者が適宜なし得た事項というべきである。相違点2についても、これは甲2発明の最小有効量である1日1回30mgとほぼ同一の用量であって、1日当たりの用量を0.371mg/kg以下の範囲とすることに臨界的意義があるとも言えず、甲2の記載及び技術常識を参酌して用量を上記範囲とするのは適宜なし得ることというべきである。
なお、原告は、本件特許の対象患者(NYHAクラスIVの患者)を「ADHF(急性非代償性心不全)の重症患者」であると主張する。また、同じ心不全治療薬であっても、NYHAクラスI~IIIの患者には有効だがクラスIVの患者には効果がない又は悪化させる例があった上、NYHAクラスIVの患者は利尿薬抵抗性の問題がより深刻であって治療に限界が生じており、トルバプタンにも利尿薬抵抗性の問題が認識されていたことによると、甲2発明から相違点1の構成に想到する動機付けはないとも主張する。さらに、本件優先日当時、利尿薬は、心不全の死亡率を低下させる(予後を改善する)ものとは理解されていなかったところ、本件特許発明は入院期間から外来で投与を終了するまでの全期間の死亡率が有意に低く、この効果は顕著な効果であるとも主張する。
しかしながら、本件明細書に「ADHF(急性非代償性心不全)の重症患者」との語は見当たらず、本件優先日当時にNYHAクラスIVの患者が「ADHF(急性非代償性心不全)の重症患者」を示すことが自明であったことを認めるに足りる証拠もない。また、利尿薬は、急性心不全と慢性心不全とを問わず、また重症と軽症~中等症とを問わず、心不全の症状の一つである体液貯留、うっ血、浮腫等を改善する治療薬として広く用いられており、さらに、上記主張の例は利尿薬とは異なる心不全治療薬が含まれているため、NYHAクラスIVであることを理由に利尿薬の取扱いを異にすべき旨が記載されていると読み取ることはできない。加えて、本件特許の試験はNYHAクラスIIIおよびIVの患者が混在した試験であり、NYHAクラスIVの患者のみの死亡数は明らか明らかになっていないのであるから、NYHAクラスIVの患者に対する効果は不明である。
5.考察及び実務上の留意点
本件訴訟では、甲2に対する本件特許(第2医薬用途発明)の進歩性判断において、主に、対象患者の相違点についての容易想到性及び顕著な効果の有無が争点となった。
医薬発明においては、対象患者・対象疾病や用法・用量を限定して新規性・進歩性を確保する手段は多く行われているところであり、医薬発明以外でも、化学・バイオ分野の発明では用途や数値範囲等を限定して新規性・進歩性を確保する手段はよく利用されている。本件訴訟でも、甲2との相違点として主に対象患者の違いが主張され(つまり医薬用途が異なることが主張され)、これが容易に想到できないことも主張されたが、上記のように裁判所はこれを容易に想到できると判断した。
前提として、第2医薬用途発明などの用途発明(有効成分は既知物質であるがその用途に特徴がある発明)の特許権については、通常、その効力には用途限定がかかると解釈されている。これは、上記のような用途発明を保護すると同時に、既に公衆に利用可能となっているパブリックドメインも適切に保護する必要があるという考え方に基づくものである。この解釈を踏まえると、権利化段階においても、その用途が公知技術(パブリックドメイン)と区別されているかどうかが新規性・進歩性の重要な判断基準の1つとなり得る。近年の学説でも、上記のような用途発明について、その用途がパブリックドメインと区別し得る場合に限りインセンティブを付与するという考え方(パブリックドメイン・アプローチ)が主流となりつつある。医薬品は、その医薬用途等がラベリングなどによって明示されるものであるため、医薬発明では安易に公知医薬との対象患者や対象疾病などの違いを主張しがちであるが、単に公知医薬と対象患者等が異なることだけでなく、当業界において、その対象患者等を他と区別して投薬等がされている実情があるか(その医薬用途が既存のものと客観的に区別可能であるか)どうかが新規性・進歩性の重要な判断基準の1つとなると考えられる。本件訴訟においても、甲2発明の医薬品が心不全患者の重症度を区別して投薬されている実情があるとまでは言えず、これをNYHAクラスIVの患者に投与し得る状況にあったと判断されたと考えられる。
したがって、第2医薬用途発明などの用途発明では、その用途がパブリックドメインと客観的に区別できること(実情として使用対象や使用時期、販売ルート等が区別されていること)、ならびに、その区別を超えた使用・適用などは通常行われない実情又はそのような使用・適用についての阻害要因があること等についても、できる限り出願時明細書中に示しておくことが望ましい。なお、このような区別ができなくても特許性が認められた用途発明の裁判例もあるが、前述のように、近年はパブリックドメインの保護も知的財産権制度の重要な目的の1つであるという考え方が主流となりつつあり、このような裁判例は今後少なくなる可能性が高いと考えられる。したがって、強い権利取得という観点からも、このような裁判例に依拠した主張等はできるだけ避けた方が望ましい。しかしながら、上記のような区別がし難い用途発明もあり得るため(例えば保健機能用途ではない食品用途発明やメカニズム上流での医薬用途発明など)、案件の重要度や権利行使の可能性なども勘案して明細書の記載や主張等の内容を検討することが必要と考えられる。
また、本件訴訟では、甲2との相違点である対象患者(NYHAクラスIVの患者)に対する本件特許発明の顕著な効果も主張されたが、上記のように裁判所は本件明細書中のデータ(NYHAクラスIVの患者のみを区別した試験データがないこと)からこの効果を認めなかった。この判断は妥当であると考えられ、対象患者・対象疾病や用法・用量などを限定した医薬用途発明において、特に進歩性の観点からは、これを区別した試験系での具体的な効果やそれが予測できないことの説明(際立って優れていること又は異質であること、そのメカニズムの違いなど)が明細書中において明示されているかどうかが重要となると考えられる。
したがって、第2医薬用途発明などの用途発明では、出願時における実施例の設計や記載において、パブリックドメインと区別できる効果はできるだけ試験系(対象患者、対象疾病、用法・用量等)を分けて設計・記載しておくのが望ましい。また、パブリックドメインとのメカニズムの違いが推定される場合には、その推定メカニズムも記載しておいた方が望ましいと考えられる。
加えて、本件原告は、本件特許の対象患者について、本件明細書に記載されていない用語を用いて甲2の対象患者との違いを主張しているが、そのような主張を行う場合には相応の証拠提示が必要と考えられ、かなり困難な作業となると言わざるを得ない。これを避けるためにも、言い換えも含めて、出願時明細書中に考え得る対象患者や対象疾病、用法・用量等はできるだけ詳しく且つ多くの用語で示しておくことが望ましいと考えられる。可能であれば、その中で特に好ましいものをさらにピックアップして記載おくのがより望ましい。 なお、本件特許の権利は2024年2月23日に満了しているが、本件被告の後発医薬品の販売開始から権利満了までの期間については特許権侵害の紛争が生じる可能性があったものである。
2024.7.22 執筆者 水野基樹(弁理士)
※本記事は裁判例の情報を提供するものであり,法律上の助言を含むものではありません。
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