知的財産高等裁判所第4部(裁判長裁判官:長谷川浩二)
[本判決のポイント]
・医薬用途発明の特許出願において、その効果(課題を解決できること)を確認した実施例の記載が明細書に全くない場合、サポート要件を充足することは極めて困難である。
1.概要
原告:シューイー イーチェー
被告:特許庁長官
内容:原告が、特許庁が行った拒絶審決(サポート要件違反)の取消を求めた訴訟
2.本件出願(特願2019-569356)
《本件出願》
発明の名称:「眼内インプラント用の細胞増殖抑制性コポリマ」
【請求項1】
眼内インプラント用の細胞増殖抑制性ポリマであって、
少なくとも1種の細胞増殖抑制性モノマと、
アクリルモノマ、シリコーンモノマ、ビニルモノマ、および/またはコラーゲンモノマから選択される少なくとも1種の他のモノマと、
が共重合されることにより得られ、
前記少なくとも1種の細胞増殖抑制性モノマは、第4級アンモニウム系塩モノマであり、
前記第4級アンモニウム系塩モノマは、メタクリロイルオキシドデシルピリジニウムブロミド(MDPB)、メタクリルオキシエチルセチルアンモニウムクロリド(DMAE-CB)、2-メタクリルオキシエチルドデシルメチルアンモニウムブロミド(MAE-DB)、2-メタクリルオキシエチルヘキサデシルメチルアンモニウムブロミド(MAE-HB)、および/またはビス(2-メタクリルオキシエチル)ジメチルアンモニウムブロミド(IDMA-1)から選択されて、
前記眼内インプラントの表面に存在する、生物が元来有している細胞の増殖が抑制される、
ことを特徴とする細胞増殖抑制性ポリマ。
※拒絶審決時クレーム、請求項2以降は省略
3.経緯概略
- 本件出願人(原告)により、本件出願の拒絶査定(実施可能要件違反、サポート要件違反、明確性要件違反)に対する不服審判請求
- 拒絶査定不服審判の審理において、明確性およびサポート要件の拒絶理由通知
- 本件出願人(原告)によるクレームの補正
- サポート要件違反で拒絶審決
- 原告により審決取消訴訟提起
4.判決の内容(サポート要件についての判断概略)
特許請求の範囲の記載がサポート要件に適合するか否かは、特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し、特許請求の範囲に記載された発明が、発明の詳細な説明に記載された発明で、発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か、また、その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識し得る範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものであると解される。
本願発明の課題は、眼内インプラント手術後に、その表面に存在する生物が元来有している細胞の増殖を抑制するための、眼内インプラント用の細胞増殖抑制性ポリマを提供することである。そして、本願発明がサポート要件を満たすというためには、発明の詳細な説明の記載又は出願時の技術常識に照らし、当業者が、上記ポリマを眼内インプラントに用いたときに、その表面に存在する生物が元来有している細胞の増殖を抑制することを認識できることが必要である。しかしながら、本願モノマのうちMDPBは、歯科用接着剤及び歯科用樹脂と共重合する場合、虫歯のリスクを減らすために使用されており、哺乳動物細胞の増殖を抑制することも分かっているとの記載があるが、MDPBのいかなる特性に基づくいかなる作用が「虫歯のリスク」を減らしたり「哺乳動物細胞の増殖を抑制」したりするのかについては何ら記載がない。また、別の例であるDMAE-CBのいかなる特性に基づくいかなる作用が細胞増殖抑制性と関係するのかについても何ら記載がない。さらに、上記MDPB及びDMAE-CB以外のMAE-DB、MAE-HB及びIDMA-1については、発明の詳細な説明に何ら記載がない。そして、これを裏付ける実験例等も示されていない。
そうすると、明細書等から当業者が認識できるのは、MDPBという特定の化合物に何らかの哺乳動物細胞増殖抑制作用があるという限られた事実にとどまり、本願発明の広範な構成(5種のモノマから選択される1種と4種の他のモノマから選択される1種との共重合ポリマ)全体について、眼内細胞の増殖抑制効果を認識できるとは認められない。また、仮に原告の主張する技術常識が認められるとしても、それにより認識し得るのは、第4級アンモニウム基を有する化合物が哺乳動物細胞の増殖を抑制する作用機序を発現するということだけであって、第4級アンモニウム系化合物の細胞に対する作用は、カチオン性中心の構造を有するというだけで決定されるものでなく、疎水性の構造やエステル構造などの影響も受けることが知られていることなども踏まえると、本願モノマを含む本願発明のポリマが眼内インプラント手術後にその表面に存在する生物が元来有している細胞の増殖を実際にどのように抑制するのかを認識し得ると認めることはできない。
5.考察及び実務上の留意点
本訴訟では、本願発明について、その効果・効能(課題を解決できること)を実際に確認した実施例の記載が全くない場合にサポート要件を満たすか否かが問題となった。
本願発明は、所定の共重合ポリマを有効成分とする、眼内インプラントの表面に存在する細胞の増殖抑制用途の医薬発明である。しかしながら、前述のように、本願明細書には所定の共重合ポリマが眼内インプラント手術後においてその表面に存在する細胞の増殖を抑制した結果を示す実施例が全く示されていない。また、その推定メカニズムも全く記載されていない。そして、個々のモノマについても、MDPBは、歯科用接着剤及び歯科用樹脂と共重合する場合、虫歯のリスクを減らすために使用されており、哺乳動物細胞の増殖を抑制することも分かっていることだけは記載されているが、本願発明の効果を発揮させるために何故そのようなモノマを選択して共重合させることが必要か否かや、虫歯菌・哺乳動物細胞と眼内インプラントの表面に存在する細胞との関連性などは全く記載されていない。
以上から、医薬用途発明における実施例の位置付けがその効果・効能の立証と言えることも考慮すれば、本判決の判断は妥当であると考えられる。医薬分野では、通常、有効成分である化学物質等の構造などからではその効果が予測し難いものであり、これにより進歩性を具備する場合も多い。また、対象細胞が変われば効果が変わる場合も多い。そして、本願明細書では推定メカニズムも記載されていないため、個々のモノマの作用の一部が技術常識であったとしても、この記載からでは本願発明の効果を認識することは困難と言わざるを得ない。したがって、本願発明については、少なくとも推定メカニズムの記載が必要だったと考えられる。一方で、本願発明の有効成分の共重合ポリマに用いる個々のモノマ自体が公知であったことを踏まえると、推定メカニズムを記載した場合、その内容によっては進歩性を満たさないと認定される可能性があると考えられる。よって、本願発明については、権利化の観点からは、少なくとも1つの実施例(所定の共重合ポリマを用いたものの実施例)と、少なくとも1つの比較例(個々のモノマのいずれかを単体で用いたものあるいは他の共重合ポリマを用いたものの比較例)と、を記載すべきであった。この場合、推定メカニズムの記載は必要ではないと言える。医薬用途発明においては、従前の裁判例からもサポート要件判断において技術常識は補助的な役割のものである(第一次的には明細書に基づいて判断される)と解釈できることも踏まえると、その効果・効能を裏付ける1以上の実施例と、その効果・効能が十分に得られていない1以上の比較例の記載を前提として出願を検討すべきである。そして、この実施例、比較例は具体的である必要があり、ペーパーイクザンプルでは足りない。なお、具体的な実施例、比較例が記載されていれば、その数が少なくても、その実施例の範囲より広い権利範囲で権利化できる(そのような範囲でもサポート要件等を満たすと認定される)可能性もあるが、具体的な実施例、比較例が全く記載されていなければ、そのような可能性はほぼ期待できないと言える。
(2026.9.24 弁理士・水野基樹)
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